金曜日の夜七時過ぎに電車の中で大きな鞄を膝に置きニンテンドーDSliteを真剣な目つきで操作している小学校3年生くらいの男児を見てほとほと疲れた気分になる。 疲れすぎて読点すらつける気分にならない。 小学3年生くらいの男児なら、金曜日の夜は朝日テレビでドラえもんを見ているべきなのだ。 全く親は何をしているんだろう。 そーらを自由にっ飛っびたーいくらいですら機械に頼らないと人間にはできないのだと学習が必要ではないのか? そしてその子の右にはうつろな目つきで携帯電話を操作する中年男性。 何を見ているんだろう。 なんらかの中毒になった輩はこんな目つきをしているのかもしれないと思う。 情報に酔い情報に溺れ情報に毒され情報無しでは生きられなくなるのだ、情報依存なのだ。 何も見たくない何も聞きたくないがそんなことは許されないので次策に甘んずる。 眼を閉じて、好きな音楽を聴けばいい。 ジーンズの尻ポケットにつっこんだipodから、安価なイヤホンを通してロッシーニのウィリアム・テル序曲をぶっ続けで聞く。 農民たちで構成されたスイス軍が自由と共にてくてくてくてく歩むのだ。 アルプスが寒いのはギヨーム・テルの所為ではない。 まぶたの裏にちゃちなレースが浮かび上がる。 白い百合が鳴る。 美術室の絵の具と、実験室の顕微鏡と、音楽室のコントラバスと、更衣室のゴキブリがゴールを目指して走り続けるのだ。 頑張れ絵筆、負けるな絵筆、それゆけ絵筆、
 ざわざわざわざわざわざわ。 大勢の人が移動する気配を感じて目を開ける。 情報の9割は目から入る、しかし全てが正しい情報なわけがない。 街には人が溢れているのにお祭りじゃない。 終着駅。 人の流れの後のほうにつき、車両から降りる。 密室から開放される。 冷たい乾燥した空気が頬を刺す。 ああもう12月なんだ。 どおりで街が重苦しい。 この街に12月の枯れ木はない、この街に12月の雪はない、この街に12月の価値はない。 流行なのだろうか、白いウシャンカを被った女性がひとり、ふたり、さんにんいて、僕は彼女たちの帽子がフェイクファーで出来ていることを願う。 ズドラースドウェイチェ! ウラジオストクのエカチェリーナ、そちらに雪は、どのくらい積もりましたか? こちらに雪は、降ってません。 階段を上り、改札を通る、差し込んだ切符が改札口から出てこない。 ・・・ああ、切符だから出てくるわけはないのか。 もたついてごめんね後ろの女子高生。
タイル敷きの道を歩く。 間接照明のパン屋と薄暗い本屋の間の、化粧品店の蛍光灯の明かりがまぶしくて、ふらふらと入店してしまう。 誘蛾灯に誘われるムシと、蛍光灯に誘われる僕に大差はない。 ビニール加工のポーチや、お菓子のような値段のマニキュアや、果物を模したパッケージに入ったハンドクリーム。 僕はこういうところにくるとしどろもどろになってちんぷんかんぷんになってきょろきょろと辺りを見回すしか出来ない。 思考が鈍くなるのだ。 この所為で随分と頭の弱い子扱いされてきたが否定できないのが悔しい。 女子高生が二人、試供品で目の周りを塗りたくっている。 お前らはスミルナ生まれのギリシャ人か! 彼女たちの右の棚にシュガーベリーを唄った安香水の試供品を見つけた。 ハートをモチーフにしたのであろうピンクのボトル。 コートの右ポケットから取り出したハンカチにそれを一吹きすると甘い香りが広がった。 甘い、甘い、甘い、甘酸っぱい香りは一瞬だけで、あとはただただ甘ったるい、砂糖の匂いと人工的な苺の匂いだけが残ってやるせない気分になる。 やるせない気分は嫌いではないが、苺は好きではない。 そもそもどうしてこんなものを手にしたんだろう。 ボトルを棚に戻した。 買うべきは実用的なものだけだ。 財布の中には樋口さんが一人、あと小銭。 ああそういえば、手袋が必要だ。 手袋が、必要なのだ。 茶色いブーツも、新しいタートルネックも欲しいが、手袋は、必要、なのだ。 ウシャンカはいらない。 手袋が必要なのだ。 広くない店内の中で小物のコーナーを探す。 ベルト、サングラス、ヘアゴム、シュシュ、コンコルド、ケータイストラップ、ショール、ああ、あった、手袋。 白と黒の千鳥格子の手袋、スウェード製の手袋、これは縁にフェイクファー。 ああ、どうして毛糸の手袋がないのだろう。 雪の結晶のような模様の手袋が欲しいのに。 ああもう、ああもう、ああもう。 ため息を一つ、そして化粧品店を出る。 寒い。 有難ウ御座イマシタと機械音声。 みんなフレゴリだ。 ブォンジョルノ! ナポリのカタリーナ、そちらでは今、どんなお芝居をやっていますか? こちらのお芝居は、寡聞にして存じません。 信号ガ青ニナリマシタと機械音声。 横断歩道を渡る。 僕は身長が低く足も短いので歩くスピードが遅い。 もたついてごめんね後ろのおっちゃん。
 きょろきょろと当たりを見回すとネオンが眩しくてくらくらする。 その代わり空にはシリウスしか見られないのは僕の視力の問題ではない。 どうして僕はこんなところにいるのだろうと混乱するが自ら混乱に足を踏み入れる事は嫌いではない。 わっほーい! 混乱で頭が痛くなるのが僕は好きだ。 マゾヒストになるべく自家発電を繰り返すのだ。 僕のいうマゾヒズムというのは苦しみからも快楽を得ることのできる才能をいう、のだがそろそろマゾヒズム以外のしっくり来る言葉を見つけねばならない。 ・・・いや無理に見つける必要もない。 どんな人でもある程度のマゾヒズムを有していないと、この騒がしい世界を生き抜くことは不可能である。 逆説的に言うならば、この騒がしい世界を生き抜いている人は、ある程度マゾヒズムを有している。 煙草に酒にリストカット、カラオケで喉を痛めるなんていうのもあるだろうか。 人付き合い・・・とか? ああ、それを含めるのならば僕のマゾヒズムもまだまだステージが低すぎるもっと精進しないとなーとか考え終わった所でスクランブル交差点を渡りきった。
 さて、どこへ行こう。
 ぐるり、と辺りを見渡す。 デパートの広告、大きなクリスマスツリー、いちゃつくカップル、カラオケ店の看板を持つ女性、トナカイの角を模したカチューシャをつけた男性から、英会話教室の宣伝ティッシュを受け取った。 グッディブニン! ロンドンのキャサリン、僕はそんなに英語ができなさそうかな? うんそうだよサンニンショータンスーって何。 バベルの塔はザメンホフ博士の想像よりも高かったのだろう。 という結論に至る。 いや、普及しなかった理由はユダヤ人だからってのが有名だけど。 自分の非才を過ぎ去った事象の所為にするのは僕の悪い癖である。 だいたいさー英語ができてもそれって国際化の一歩ではあれど無理して国際化する必要ないと思うんだけど。 コーラ飲んでTシャツ着てスニーカー履いて青いケーキ食べてサッカーに興じればそれが国際化? あれサッカーってあなたのところじゃ労働者階級のスポーツだっけキャサリン? FIFAってサッカーのSの字もないじゃんかー。 いやまー趣味ならいいんだよ趣味なら。 僕だってぜーんぜんわかんないのにドイツ語好きだからね少女が中性名詞ってのはいいけどしかしスカートが男性名詞ってやめろドイツ人、やめろ。 あとスニーカーは僕も愛用しているけれど。 違和感にスニーカーごと足をつっこむように僕はマクドナルドへ行こうと決めた。 フライドポテトを食べよう。 あの暖色ばかりを用いたアメリカ仕込みの美学のないピエロに貢献しよう。 わーい資本主義社会! すべからく経済活動に従事せよ! マクドナルドという言葉はいつも僕に、レタスとハンバーグとチーズの挟まった大きなハンバーガーを食らいつくそうとする無数の蟻、を思わせる。 その蟻の一匹になってやろう、いやなにアリもヒトもたいして変わりはしない。 生命体に食べて出して寝て成長して死ぬ以外の何ができる? ストリートミュージシャンの奏でるハーモニカの音が僕を誘っているようにも聞こえたがそんなわけないので気付かないふりをする。 どうしてハーモニカは僕の脳に響くんだろう、全ての楽器の中でも音が高い部類に入るだからだろうか。 ならばピッコロの音なんか聞いたらそれこそ僕はハーメルンの笛吹きにくっついていく無垢で無知な子供の如く骨抜きになってしまうのだろうか。 膿と瘡蓋と垢に塗れた脳に響くのだ。 みつどもえ。 あれ? さんすくみだったかな? 膿を除こうと瘡蓋が出来る。 瘡蓋を剥がそうと垢になる。 垢を落とそうと膿が出る。  ピッコロを、吹いてみようか。 代理として口笛をひとつ。 ひゅん、ひゅひゅひゅん、ひゅひゅひゅひゅひゅひゅひゅひゅひゅンッ!!! ・・・器官が、おかしくなった。
 マクドナルドの店内に入ってレジに並び順番待ちの間にi podを一時停止させイヤホンを耳から外す、しばしのお別れだウィリアム・テル序曲よ。 「ポテトのMサイズとアイスティーSサイズ」を注文するとレジのおねーさんはとてもいい笑顔を僕に見せてくれる。 笑顔の安売りはしちゃいかんぜおねーさん。 支払いを済ませてちょっと待ってトレイを受け取りのんびりできそうな2階席へ。 時間帯の所為かそこそこ混んでいて僕は空席を探す為に辺りを見渡す。 ぐるり、ぐるり、ぐるぐる。 一人掛け用喫煙席が空いているのでそこに座る事にする。 僕は煙草を吸わないがかといって嫌煙派というわけではない。 副流煙よ僕を殺せ、なんて思ったりしてるわけでもないが。 嗜好品を否定するのは馬鹿のやることだ。 アムステルダムへ行け、アムステルダムへ! ちょっと苦しいかな。 ああもちろん僕は馬鹿で無知で愚鈍だが。 灰皿は掃除されていて、僕の視力では塵は発見できない。 トレイを置きショルダーバッグを肩から外しコートを脱ぐ。 僕の腰の上の位置に座椅子があるスツールにのし上がるようにして腰掛ける。 目の前には大きな窓ガラスがあって昼間はこの小さな都会の風景を楽しむことができるのだろうけど生憎今は夜で暗くて僕の姿が映っている。 背の低い広い額の大きな三白眼で伸びた黒髪を耳にひっかけただけの、小娘が。 ところどころ電球や発光ダイオードの光がちらちらして僕の姿に妙な斑点が浮き出ているように見える。 病気みたいだ。 いただきますと心の中で唱えてからポテトを2本口に含む。 びーんご。 揚げたてカリカリでちょっと塩がキツめ。 びーんごびーんごひゃっほーい僕この味が好きなんだよ。 ピーク時のファストフード店は店員さんにとっては戦場なのだろうが僕にとっては美味しいフライドポテトを食べられるチャンスなのである。 忙しくて計量もおおざっぱなのか紙ケースからはみ出るくらいに入っていてなんだか得した気分だわーい、と小市民なことで喜んでみる。 あいにく僕のバイトは幼児向け学習塾のマルバツ添削作業でありファストフード店員になったことはないため彼らの苦労はいまひとつピンとこない。 マルつけてマルつけてときどきバツがあってマルかいてマルかいてマルなのだ。 そしてなぜ僕が飲み物以外ファストフードでフライドポテトしか注文しないのかというとどこかでフライドポテトの利益率がメニューの中で一番高いと聞いたことがあるからである。 特にマクドナルドのフライドポテトには一種の麻薬が使われているのでないかと思う。 もしくは脳内麻薬を誘発する何かが。 脳科学には詳しくないけど。 油の塊すなわち高カロリーだから体が喜んでいるのかもしれない。 ジャンクフード、空っぽのカロリーで体を満たすことそれも僕の世界ではマゾヒズムの一環である。 もぐもぐと馬のようにかっ喰らいときどきアイスティーで喉を潤す。 ボンジュール! トゥールーズのカトリーヌ、何食べてますか? こちらはフライドポテトかっ喰らってます。 フレンチフライじゃないです。 しばらくすると麻薬(仮)が落ち着いて僕の思考も徐々にフライドポテト以外のことにも向くようになる。 右を向き左を向き後ろをちらっとだけ振り返る。 右のおねーちゃんは就活の真っ只中なのかスーツとスカートとストッキング姿で右手に細い煙草を持ち左手でテーブルに爪を立て雑誌に眼を落としている。 左は席ひとつ向こうにおっちゃんが座っててあくびを繰り返しつつ食べ終えたバーガーの包み紙の近くに左手を置きそわそわと自分のアナログ腕時計を確認している。 後ろでは虫の足みたいなまつげをした厚化粧で貧相な体躯に似合わない私服を着た若すぎる女の子のグループがなにやら人のあだ名らしきものを挙げ連ねて騒いでいる。 白と黒と灰色と曲線とローマ数字で構成された壁掛け時計を見ると八時過ぎ。 帰れよーお前ら女子中学生だろタコ。 ターコ!! とかなんとか。 人間観察というと失笑ものなのでモリエールごっこと呼ぶ。 テーブルに向き直り窓ガラスの外の下の方、道行く人々を見る。 カップルがいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃいちゃ。 何組も何組も通ってゆく。 そして僕はクリスマスが近い事を思い出した。 タコめ。 クリスチャンでもないくせにクリスマスにかこつけて騒ぐな、今年のクリスマスは平日だ。 そしてここは日本なのだから神道が主体のはずだ。 23日は今生天皇がお生まれになった日で25日は大正天皇がお隠れになった日だぞうーがるーがるがる。 12月8日の針供養も参加する熱心な僕は23日も25日もお国のために働くつもりである。 マルマルマルときどきバツ。 ところでなんでイエス・キリストの生まれた12月25日の降誕祭が盛大に騒がれているのに対して釈迦の生まれた4月8日の灌仏会が無視されるんだろうと少しばかり考える。 甘茶・・・まぁ美味しくはないが。 結局のところ騒げればいいのだ。 きらきらふわふわしているもんねクリスマスって。 ツリーにプレゼントにケーキに賛美歌。 クリスマスツリーに偶像飾るなタコ! と怒るルターはいないんだろう。 カップルが、男女が二人うふふあははしていられる口実を探しているだけなのだ。 うふふあははする異性のいない人々は同姓の友達と美味しいケーキを食べるのだ。 そしてうふふあははする相手のいない僕はそれらに噛み付くのだ。 恋人っていうのはハムレットとオフィーリアのようなあいだがらを言うのである。 寂しくなんかないさ。 え本当に? なんて自問自答。 こういうときに便利な異性が一人いればいいなぁと思う。 それは兄のようであり親友のようであり教師のようであり先輩のようであればいい。 欲を言えば賈島における韓愈のような師匠も兼ねていると文句なしだ! 親や姉弟は実際にいて僕の人生を彩ってくれるが彼らは彼らそれぞれの人生を歩まねばならぬので僕が振り回していてはそれは成就しない。 そして実父は嫌いではないが好きだが僕にY染色体をくれなかったためにちょっとばかり恨んでいる。 ひとは自分にないものを求めて生きるというが僕に足りてないものはY染色体なのだ。 兄が親友が教師が先輩が師匠がそれを補ってくれてなおかつ彼らは一人だといい。 僕は背が低いのできゃつは背が高いといい、僕はぎょろっと大きい三白眼なのできゃつは細い一重だといい、僕は煙草を吸わないのできゃつは煙草を吸うといい・・・ゴールデンバットをね! それに火をつけるのはライターじゃなくてマッチでね! 自分の事を俺とでも呼んでさ! そんな兄で親友で教師で先輩で師匠なきゃつがいれば僕は僕なんて一人称をやめて自分の事をわたしとでも呼んで化粧もして髪も綺麗に結ってヒールの高いブーツでも履いて可愛らしいワンピースでも着て女の人らしい馬鹿な一生を送るだろう。 だけれどいっこうにY染色体は僕の前に姿を現さずサンタさんにお願いをしてもサンタさんなんていなくって僕の願いは成就しないのだ。 だから僕は少しでもY染色体を持つ体に見えるように乳肉と腹肉と尻肉と子宮と脂肪をこそぎ落としてぇなぁとか考える。 そうすれば少しでも男の人らしい馬鹿な一生を送ることは可能だろう。 足りないのだ。 足りないのだ足りないのだ足りないのだ。 生き別れの影が。 生き別れの無意識が。 生き別れのドッペルゲンガーが。 生き別れの二卵性双生児の兄を見つけて縫い合わせてくれよメンゲレ博士! メンゲレ博士はおらぬか! 隣に誰もいなくて僕は寂しいのだ悲しいのだ辛いのだ何でどうして誰の所為で? 知るかターコ! ターコターコ! やっぱり僕おもいっきりタコだなーターコターコ! ねえ罵ってよ蔑んでよ嘲ってよ嗤ってよそうすれば僕は泣きながら笑えるからさ。 エカチェリーナ! カタリーナ! キャサリン! カトリーヌ! 同じ由来を持つなまえのみんな、元気ですか? 清子は今泣いてます。 なんででしょう涙が止まりませんが笑えません。 なんてテレパシーをおくろうとしてもみんなクリスマスの準備で忙しくて受け取ってやくれないだろう、ほらみんなヨーロッパだし本当の意味でのクリスマスを祝う為に料理の準備とか飾りつけとか聖歌の練習とかしてるんだろうから。 異国の仲間よ、いや僕名前の由来はともかく語源としては仲間はずれだけど、人間を覆う禍は数知れないのだ。 ってギリシャ戯曲で読んだ文章を引用する。 僕は誰のクリスマスも祝ってなんかやらない。 綺麗に泣くことの出来ない僕は鼻水をだらだら垂らしつつガキのように泣く。 すんすんぐすぐすだらだら。 今ならハーモニカの音色にもくっついていくかもな、耳にイヤホンをしていないことに今更のように気付いた。 装着しなおし一時停止を解除するとまたウィリアム・テル序曲が流れる。 自由を得たスイス軍は平和に向かって行進するけれど、辿りつくことはない。てくてくてくてく、歩むのみ。 「ひくっ」と忌々しい甲高いだけの声で嗚咽を漏らしてしまいコートのポケットからもたもたとハンカチを取り出して顔を覆うもそれからは人工的な砂糖の匂いと苺の匂いがしてまた僕の思考が痛む。 テーブルの左手にあった紙ナプキンを3,4枚引っつかんで涙と鼻水を拭ったけれど紙ナプキンは固すぎて、やっぱり僕はマクドナルドなんて好きになれそうにない。























































背景提供 ・・・ 水没少女 さま

 どうみても2階から見る風景より位置が高いけれどそこはそれ、ご愛嬌。

 

inserted by FC2 system