てくてくてくてく。
てくてくてくてく。
てくてくてくてく。
てくてくてくてく。
てくてくてくてく。
てくてくてくてく。


歩む、歩む、歩む。
歩む、歩む、歩む。

てくてく、てくてく。

歩む。 歩む。 歩む。 走ったりしない。

旅の基本は徒歩である。
各駅停車や自転車の旅も良いけれど。


てくてくてくてく。

コートの彼が歩んでいるのは、線路の上だった。
比喩でなく、線路の上を。
てくてくてくてく。

かつて民間企業が運営していた鉄道だが、レールをはじめとする金具がほとんど取り外された状態で、枕木と敷石がほったらかされている。

てくてくてくてく。
てくてくてくてく。
てくてくてくてく。


「・・・あ」


はるか先にプラットフォームを見つけた。

目を細め、口角を上げる。

歩みをやや速める(でも走ったりなんかしない。 トランクが重いという理由だけでなく)。

てくてくてくてく。
てくてくてくてく。




フォームについた。
まずトランクを地に置く。 トランクに足をかけ、上腕筋の力でフォームに乗りあがる。
フォームに腰掛け足をぶらぶらとさせる。 疲れを発散させるためではなく、これは単に彼の子供っぽい趣味のようだった。
右のポケットからきらきらとした小さなハーモニカを取り出し、唇にあてがう(海賊とラム、書生とインバネスコート、名探偵と葉巻、旅人と楽器)。
ゆっくりと音が奏でられる。
どこか物悲しいのは、曲の持つ性格か、あるいは蜃気楼のような旋律の所為か。




























「・・・それ、アクウェル・クァーニリが作曲して、イリ・フィエルが歌って、佐倉涼気が和訳した曲よね・・・。 『虹追い』。


麻のシャツ着て帽子被って
良い靴を足に良い時計腕に
辞書と日記と裁縫道具
今日のパンの為にフルートを吹く
明日のスープの為のフルートは吹かない




だったかしら」




後ろから声がして。

ハーモニカを口から放し、彼は振り向く。

少女が一人、曲線を描くプラスチックの椅子に座っていた。
背が低く、栄養分の足りてなさそうな体躯。 黒のショートカット、眼が大きいけれど、でも可愛らしいというよりぎょろりとした感じ。 色気のない紺のジャージ姿、中に浅葱色のTシャツを着ている。 それと、白い白い、ごついスニーカー。


「そう、だけど・・・」


少女の姿を見て、彼はやや眉根を下げた。
それを見て、逆に少女は目を細める。


「あたしは2番の歌詞が好きよ。

貴方に貰った珊瑚磨いて
貴方が褒めた髪梳って
手紙とインクとタロットカード
明日の貴方のことを考える
昨日の貴方を考えない

って。 帰りをまつひとの心境」


わざとらしいような口調だったが、高い高い声で発音されると、妙に高圧感がある。
口をつぐんだままの彼に、小首をかしげる。

「けど・・・何、かしら?」
「・・・いや。 ひとにあうのは久しぶりだと、思って」

 へらん、と眉根を下げたまま、顔の緊張をほぐす。
 少女ははぁと大きな溜息をついてから笑う。

「くす、くす・・・いつぶり、ねぇ・・・お隣、宜しくて?」
「んぁ。 どうぞ」

 くす。 椅子から立ち上がり、傍らに置いていた紅茶の缶を手に、少女は旅人に近づき、ぺたりと胡坐を掻く。 肘を膝の上に置いて手を組み、身を乗り出させる。 顔つきに似合わない仕草だった。 白いスニーカーが、灰色のフォームの中で光って見える。

「・・・女の子が胡坐掻くもんじゃないよ」
「ジャージだし良いじゃない」
「いやスカートを履けっていうの」
「スカートで胡坐を掻けっていうの?」
「胡坐を掻くなっていうの」
「女の子なんてみんなスカートの下にスパッツを履いてるものだけれど」
「男の夢を壊さないー」
「胸なんざ脂肪です」
「男の夢を壊さないっ」
「えるぁいひとにはそれが分からんのです」
「Rの発音がおかしいーっ!」
「さぁ・・・。 貴方は本当に男のひとなのかしら」
「はン?」
 首を捻ったり眉根を寄せたりする彼に対し、少女は目を細め唇をゆがめ口角を上げる。
「ねぇ貴方、『スワニー』を吹けて?」
「『スワニー』? 『遥かなるスワニー川』か?」
「ええ。 吹けて?」
「まぁ」
「吹いて」
「嫌」
「・・・くす、言うと思ったわ・・・」
「はン?」
「貴方、お名前を伺っても宜しくて?」
「・・・八字」
「苗字は?」
「・・・間幌場」
「まほろば・・・はちのじ?」
「うん。 間幌場、八字。 いい名前だろ?」
「・・・そうね・・・。 そうね」
「いやいや、あんたの名前はよ?」
「あれ? ひとに名前を尋ねたら自分も名乗らなきゃいけない、っていう例のあれ?」
「はン?」
「ええと、まだない」
「お前は猫かっ!」
「猫に見えて?」
「いや、名乗りたくないんだったら別に良いけどさ・・・。 あれだぞ、クレジットとかで少女Aとかになっちゃうぞ」
「あら、乙女Aにして頂戴」
「前言撤回。 小娘Aだ」
「む」


 唇を尖らせ、少女が黙ったのを見て、彼はまたハーモニカを吹き始めた。
 『虹追い』を最初から。
 1番、2番、間奏、3番、フェイドアウト。
 ぱちぱちぱちぱち、と拍手をしてくれた。


「ね、貴方は、旅のお方?」
「旅のお方。 そうだね、ま、旅人だね」
「どうして、旅なんか?」
「え。 そりゃ。 えー、あ、ほら」


 ぐる、とフォームを見渡す八字。
 壁に貼られ、スプレーの落書きを受けたポスターを指差す。
 『僕らは灰になる』と、赤い文字がヒステリックに躍る、政府が発表したシェルターの宣伝だ。


「ほら、荒みきった世界を諦念とともにてくてくてくてく。 旅人の基本形にして完成形じゃないか」
「諦念・・・」
「明日、みーんな灰になる、んだろ?」
「・・・明日、僕らは灰になる」
「あっすぼくっ!」
「あっしゅぼくっ!」
「はン?」
「エーエスエイチ」
「ああ・・・あ、洒落か?」
「どうかしら」
「まさか世界の終わりが、世界の外からやってきたイレギュラーなモノによってだなんてさ」
「あたしたちに





明日なんて来ないわ
「・・・・・・・・・・・・え?」



口をつぐんだ少女。
何も言わない八字。
びゅおう、と、風が舞う。


「あたしたちに、明日なんて来ないわ」


 もう一度、ゆっくり繰り返し、


「『ボニーとクライド』かよ!」
「・・・」


 少女は押し黙る。


「おいっ無視すんな」
「いえ、ただちょっとツッコミ方法を考えていたの」
「え、俺ボケたつもりないけど」
「まず、ボニーとクライドに明日はなかった。 けどね、あたしたちにはちゃんと、明日はある」
「・・・」
「だけど。 来ない」
「・・・」
「明日なんて来ない」
「・・・」
「明日なんて、来ないわ」
「・・・・・・あんたは擦り切れたレコードか?」
「あたしはただ、ここで待っているだけの女の子よ」
「何を? 電車? 欲望という名の。 それともゴドー?」
「ゴッド?」
「神は死んだ、ってことにすれば良い」
「ツァトゥグァはかく語りき・・・」
「ツァトゥグァ違う!」
「そっちのほうが好みだわ、ツァラトットラより」
「ツァラトゥストゥラだろ言えてねぇよ」
「ツァラト、ツァラツ・・・え、つぁら、・・・」
「いや、いやゾロアスターって言ってもいいんだぜ、エベレストとチョモランマみたいなもんだから。 ゾロアスターは、かく語りき」
「そうね・・・神は死んだのかも知れないわね・・・ねぇ、どうして貴方、旅なんかするの?」
「そりゃ、旅人だからさ」
「どうして貴方は旅人なの?」
「そりゃ、旅が好きだからさ」
「どうして旅が好きなの?」
「え(旅? 旅? 旅? 旅? 旅? 旅? 旅? 旅?)
あんたは、何を言って・・・」
「考えすぎてゲシュタポ崩壊してきた?」「ゲシュタルトだろ、ゲシュタポってナチの何とかだろ、両方ドイツ語だけど全然違うだろ!」

 オリジナリティこそないが、素早いツッコミ。 こんなスキルもあるらしい。

「知ってましたァ、知ってたもん」

 頬を膨らませてそっぽを向く少女。 意外にもおこさまだった。

「・・・で、戻るけど。 どうしてあんたは、そう思うんだ?」
「太陽」
「は?」
「太陽が、動いていないもの」
「・・・は?」
「太陽が、動いていないの」
「ぜ、ゼノンのパラドックス!」
「・・・」
「違ったっけ? えーと・・・」
「狂ってるわ」
「失礼な」
「いえ、貴方もだけど、世界が」
「世界が?」
「世界が、狂っているのよ」
「狂っている、世界?」
「世界が、狂い続けているのよ」
「狂い、続けている、世界?」
「そう続くの。 続き続けるの、皆」
「・・・終らない?」
「あたしは待ち人だから待ち続ける。 貴方は旅人だから旅を続ける」
「・・・意味が」
「完成しないケーキを作っている菓子職人。 終らない歌をうたううた歌い。 キャンパスに無限の絵を描く絵描き。 原稿用紙を埋め尽くそうとする物書き。 終らない本を読んでいる読者。 ふふ。 サティはヴェクサシオンを奏で、アボガドロはアボガドロ数を「ストップ」

 びっ! と手を掲げ、少女の言葉を遮る八字。

「時間軸がおかしい、って、いうのか?」
「ふ・・・む。 ほかにもおかしいところは一杯あるわ。 でも、目に見えてはっきりわかるのは時間軸だけよ・・・」

 ご覧なさいな、と少女は人差し指を立てて、ホームの天井から吊られた時計を指差した。
 時針、分針、秒針、すべて真下、6の方向に垂れ下がっている。
 ほら、と左腕を、ジャージを捲くって見せる。
 細い腕に嵌められたデジタル時計。 88:88と、全てのラインがくっきり浮かび上がっている。

「・・・」

 八字は時計を持っていないらしく、眉間に皺を寄せた。

「ええ。 貴方、世界は好き?」
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・              世界に興味はない」

 虚勢だったけれど。
 独り言だったけれど。
 少女はそれを、聞き逃さなかった。

「・・・ねぇ、あれ。 あの字・・・読める?」
「・・・え・・・・・・?」

 少女はつい、と腕を挙げ、駅名の記されたプレートを指す。
 難しい漢字を用いた名前だった。 漢字マニアならいざ知らず、読めるものは皆無に近いだろう。 読めても、ちゃちなパーソナル・コンピューターに内蔵されたIMEでは変換は不可能だろう。

「・・・えーっと、カンザシ・・・か?」
「カンザシ・・・」
「ああ。 一文字目がカン、二文字目がサシ、で濁ってザシ。 だから・・・カンザシ」
「文字は不思議ね。 ルーン文字みたい」
「いや、文字なんてそんなもんだろう。 で、カンザシと、俺の記憶と、どんな関係が?」
「・・・貴方、リュートを弾いたことはあって?」
「あんたの言葉は筋が通ってないな。 なんだ? 全てのランダムがシュルレアリスムを名乗っていいわけじゃないぞ? ああロートレアモンめ、余計なことしやがって・・・」
「質問しているの。 リュートを弾いたことは、あって?」
「・・・リュート、ってあの、琵琶、みたいなやつだろ? いや、実物を見たことすら」
「ないの?」
「ない・・・だから、それと、俺と、どんな関係が・・・」
「道の1本しかない砂漠の真ん中・・・というシチュエーションになら、覚えがあるんじゃないかしら?」
「道の、1本、しか、ない、砂漠、の、真ん中?」
「ええ。 道の1本しかない砂漠の真ん中」
「・・・ねぇよ」

 八字は、ずっと持ったままだったハーモニカを右ポケットに突っ込んだ。 がしがし、と左腕だけで頭を掻く。

「・・・旅人ってほんっとに忘れやすいのね・・・」
「はぁ? それは侮辱か?! 俺に対する侮辱なら構わねーけど、旅人に対する侮辱は俺はゆるさ、」
「貴方いったいいつから旅をしているの?」
「・・・え?」
「貴方いったいどこから旅をはじめたの?」
「・・・え・・・?」
「貴方いったいどこへ行きたいの?」
「・・・?」
「貴方さっきまで何の曲を吹いていたの?」
「・・・・・・?」
「貴方プレートを見ずにこの駅の名前を言える?」
「・・・・・・・」

 頬が痙攣する。 歯が鳴る。

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・え・・・・・・・・・・・・・・?」
「思い出せない、ん、でしょう?」

 少女がちらり、と目線だけ、八字にくれた。 八字は両手でこめかみを押さえる。

「・・・え? え? え? え? え? え? え? え? え? え? え?」
「一個人。 そうね、 情報の塊なのにあなたは一個人でもある。 貴方は名前を持っているからよ。 この世の名を持つすべての者は独立している。 それがひょろっちい植物でも、ひょろっちい動物でも、ひょろっちい機械でもね。 間幌場八字。 どこかの誰かが考えた、旅先での偽名みたいなものでしょうけれど、名前は名前だわ。  あたしも何か名前が欲しくてよ、記号だなんてまったく、忌々しいったら!」
「間幌場・・・八字・・・ 俺は、誰だ・・・?」
「・・・記号」
「記号?」
「そう。 記号としての概念。 概念としての記号。 ほら、気取った小説とかにもあるでしょう、『コーヒーはただ、記号としてテーブルの上にあった』というような文章が」
「・・・記号・・・」
「一つの世界がおわるとき、必ず世界は混乱を起こす。 終わる世界が大きければ大きいほど、混乱は深く、大きく、複雑で、手がつけられない。 分かりやすくいえば、パニックに陥るのよ。 概念と、意識と、抽象と・・・その他、たちが、ごちゃごちゃになるの」
「がいねんといしきとちゅうしょうと、そのた・・・?」
「くすくす、貴方、自分をヒトだと思ってる? ふふ、ただの、情報の塊よ」
「情報の、塊・・・?」
「そう、いろんなひとたちの『旅をしたい』という願望が、貴方を形成したの」
「願望・・・、けいせい・・・?」
「そうね・・・情報は・・・さしずめ色、に近いわ。 貴方を緑とするなら、森を行く旅人を黄緑、砂漠を行く旅人が抹茶色、といったところかしら」
「・・・緑?」
「そう、緑は、紫とは全く違うけれど、黄緑は近いわ。 その気になれば意思の疎通が、コミュニケーションが、可能よ」
「・・・は?」
「道の1本しかない砂漠の真ん中で、救助を待っていたヒトと、リュートを持った旅人が会話をしたの」
「・・・・・・・・・・・・」
「旅人は、救助は出来なかったけど、リュートで『スワニー』を弾いてくれた。 ・・・故郷を懐かしむ曲よ」
「・・・スワニー・・・」
「この狂った世界をなんとかしなくちゃいけない」
「世界なんかに興味はねぇよ・・・!」

 目を閉じ頭を抱え、声を荒げる。
 少女は黙る。

「はッ。 ふざけんな。 終わる? 勝手に終りやがれ! 俺に関わるんじゃねぇ! ほっといてくれ、干渉すんな!」
「馬鹿?」

 ぴしゃり。
 項垂れた八字に、言い放つ。

「しがない旅人如きが、世界に干渉してもらえるわけがないでしょう?」
「・・・」

 ぎり、と唇を噛んで。

「じゃあ・・・俺は・・・どうしたら、良いんだよ・・・」

 それだけを、震える声で言って。

「そうね・・・。 狂うことからはじめましょ。 既成概念を壊すこと。 例えばそのトランク・・・」
「・・・トランク?」
「重そうだけれど・・・いったい何が、入っているの?」
「・・・夢とか希望とか」
「あるいは、諸悪とか希望とか。 そのトランクを開けるというのはどうかしら。 続けるというのも良いわね。
 ・・・それとも、今までの全てを忘れるっていうのも、ひとつの手よね。 貴方になら、出来るわ・・・」
「・・・それであんたは、どうす」
「問題は貴方でしょう?


・・・さぁ。 どうするの?」










トランクを開ける

彼女に名前を付ける

立ち去る

・・・・・・・・・・・・




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