2004年5月5日21時37分34秒02、日本国風塚県時雨市のとある病院にて、魚手家の第二子は生を受けた。体重2843グラムの元気な男の子で、身体に異常は無く、父親の泣きボクロが遺伝していた。 ちなみにこの日リルラヴェの陸軍中尉ザノスクル・ディル氏が敵兵の特攻から民間人を守るため盾となって死亡したがそれは彼に全く関係ないし、エパテの弁護士ルグル・イジュカータがナイフで首を刺されて死亡したのも微塵として関係ない。 どこかの映画のようなタイムトラベルだって未だ不可能だし、輝かしい21世紀と言ったってそりゃ研磨剤使えば石ころだって光ると語り部の友人は言っ───失礼した。








臍の緒を切られて泣き叫びながら、魚手ソナタはぼんやりと、21世紀のジァッパァーングということは、戦争に巻き込まれて死ぬことはないだろうなと安堵した。 この前トスカー国で士官学校生をやっていたときにテロに巻き込まれて爆死してしまったのが彼の記録における最悪の死因だった。
















彼は転生する度に毎回の記憶を保持していた。

何故なのかはわからない。

輪廻のサイクルといえば聞こえは良いが、結局のところは単なる魂のリサイクルだと彼は思っている。

ここでは便宜的に彼と呼ばせてもらうが、勿論女性として転生したこともある。 精神に性別はないが肉体には性別がある、というのが彼にとってはとても不快らしい。そういえば前回日本に生まれたのは、西暦で云えば17世紀になるのか? 大和はお鈴とかいう木綿糸屋の娘だったよなと彼は確信を持てないまま思い出す。 彼の記憶に間違いがなければ、などという常套句を使う気にもなれない。

記憶と言うものは脳と密接に関係しているというのか?
記憶は何らかの物質に変換されどこかに蓄積されていくというのか?
記憶のメカニズムについては21世紀の現時点ではまだ何も解明されていないためなんともいえない、というのがこの哀れな語り部めの見解である っていうか知るかよ───失礼した。





男児はソナタと名付けられた。あまり頭の良い名前とは思えなかった。





魚手ソナタの父は外資系企業に勤めていた。 企業戦士として朝から晩までバリバリガンガン働き、家に金を入れるということでしか家族に貢献できなかった。 それゆえに彼も子供たちもお互いにどう接したら良いのか分からなかったため、第三者から放任主義と呼ばれても否定は不可能だった。 父親の威厳も何もあったものではなかった。
母は専業主婦で、やや世間のことに疎く一人でぽーっと家事をこなしていた。 特に洗濯が好きで毎日に一度は家のどこかのカーテンを洗っていたため、家の中は眩しかった。 見合いで結婚して一年で娘が生まれてからは旦那よりも娘を溺愛した。 息子であるソナタが生まれたのは奇跡とは言わないまでもある程度それに近かった。 子供たち2人の名を付けたのはこの母で、名前は小夜子といった。 首をひねりすぎてごきりと音がするネーミングセンスの持ち主だった。
姉は7つ年上で、アリアという名に相応しい愛らしい顔つきの持ち主だった。 IQは高かったもののやや適応障害の気があるらしく小学校では早くも孤立していたが、彼女は気にせずもっぱらノートに絵を描いたり昼寝をしたり本を読んだり空想したりしていた。 学校から帰ると年の離れた弟を着せ替え人形にして遊んでいた。 母からは弟の面倒をよく見る良い子ねと評価された。

父に母に姉、地方都市の一軒家、白い壁に青い屋根瓦、近所に図書館、まぁ可もなく不可もなくだなとソナタはかくかく頷きそれをみたアリアにママっソナタの首がおかしい取れちゃう!と叫ばれた。 アリアはこの年齢にして赤ん坊の首がどーのこーのというのを知っていたらしい。 そうだった俺はまだまだ赤ん坊なのだとソナタはがっかりした。 早く本を読んでもおかしくない年頃になりたかった。 いやせめてお喋りができてもおかしくない年頃に。 たとえばソナタはねーちゃん頼むからスカートは止してお願いします本当にと叫んだが乳幼児の肉体にはそれを発音させる機能が備わっていないためあうげげーがうがーんぐんぐとしか言えなかった。 ソナタにお話を読んであげると言ってグリム童話の本を音読するのもやめてくれ恐いっていうか「子供たちがとさつごっこをした話」は小学生が読むものじゃないだろ親の顔が見てみたいぜと嘆息した。 父がアリアに買い与えた本らしく母はそれを没収した。 以後きっちり1週間、アリアは母と口を利かなかった。 母が「嵐ヶ丘」を買ってくることで和解した。











這うことが可能になるとソナタは家中を探索した。 もちろん四つん這いなのでかなり低い視線からだが、たまの日曜日にたまに父がいるとまわりをうろちょろした。 父は日曜日に子供を連れ回すということをせず家でぐーすか寝ていたが、ラジオをつけっぱなしにして寝る癖があるのをソナタは目ざとく学習した。 ○○で地震があった○○が起こった○○さんが死んだだのとニュースは訃報ばかりを伝えていてそりゃとーちゃんも寝ちゃうよなと納得した。 だめよパパは疲れてるんだからこっちでおねーちゃんと遊ぼーねとアリアに連れられても反抗しなかった。 反抗する理由がなかった。 アリアはソナタどの本が良い?と床に3冊の本を並べた。 「ピーター・パン」と「古事記」と「ギルガメシュ」。 アリアの読書嗜好は実年齢よりも年上だった。 助かるけどひまつぶしにはちょうど良いけど・・・もしかしたらねーちゃんも転生の度に記憶を保持しているのかも知れないなと仮説したが、それならもっとハイセンスなの選ぶよなと思いなおす。 できるだけ無邪気を装って「ギルガメシュ」まで這うとよしよしと頭をなでられた。 本をよく見ると市内の図書館の蔵書であることを示すシールが貼られていて、よし今度ダダを捏ねて連れていってもらおうと計画した。 アリアが朗読してくれるのを聞くとお昼寝の時間にさしかかったらしく肉体は意思とは無関係にくぁーるとあくびをし、寝入ってしまった。 次の水曜日、母とアリアに連れられ図書館に行った。 さわがないのよと母に諭され俺そんなにワガママじゃないよと呆れた。 案の定子供コーナーに連れられてぶすくれた。 子供用でもせめて十五少年漂流記とかを読ませてくれよ→あうあうらうらがうあうあうらーと訴えたが母は勝手に「ちいさなうさこちゃん」と「ピーター・ラビットのおはなし」を選んだ。 うさぎが好きらしかった。 いや良いけどねミッフィーちゃん好きだけどねと諦めたがアリアが世界の名作コーナーから「ノートルダム物語」と「飛ぶ教室」と「樋口一葉短編集」を選んだのを見るとやっぱりうらやましくてチッと舌打ちをした。 はしたないからやめなさいとアリアに頬をつねられ、むっと機嫌を悪くして見せしめのために泣いた。 泣き喚いた。 涙腺の操作などソナタにとっては簡単なものだった。 ソナタは普段あまり泣かなかったので効果は抜群だった。 おろおろしているアリアを見てざまーみさらせと心でせせら笑った。 が、先ほど母にさわがないのよと諭されたばかりだと思い出して泣き止んだ。 その後は終日不機嫌だった。

ソナタは同月齢の乳幼児たちより1ヶ月も早く立ち上がってよたよた歩くことに成功した。 父はインスタントカメラで写真をとり、母は自分の親に電話で自慢し、アリアは記念ねと言ってクレヨンをくれた。 よっしゃねーちゃんありがとうとその細い足に抱きついた。 アリアは足からソナタを剥がすと自分が幼児のころに読んでいた絵本を開いてあいうえおを教えようとしたがそれは無理よと母に諭された。 ソナタは短い手でクレヨンをわしづかみにし、・・・あれ何描こう?としばし混乱した。 文字を書きたかったのだが日本の文字は江戸時代のとは勝手が違うようだし知ってる文字を書いたら(この国から見たら外国語だ。 スワヒリ語などを書いてもよさそうなものだが、万が一に備えて書かないことにした)驚かれるしでそれなりに気を揉んだ。 子供特有の遠近法を無視した絵を描くコツは何回か前の人生で会得したが、それを披露するのはもう少し後になりそうだった。 しょうがないのでクレヨンを握り締め赤いいびつな丸と青いいびつな丸を描いた。 絵とはとても呼べなかったがこれはおねーちゃんねとその日赤いポロシャツを着ていたアリアは手をたたいて喜んだ。 その日ピンクのシャツを着ていた母は勝手にピンクの丸を書き加えたがソナタは何も言わずくぁーると演技の欠伸をした。 白いシャツを着ていた父はお互いにどうでも良かったらしい。














(中略)














ソナタは幼稚園が嫌いだった。絵本を見て文字の練習がしたいのにこのわんちゃんはこのときどう思ったのかなぁなどと聞かれて知るかよ他人の気持ちが分かるなんてエスパーがこんな幼稚園なんかにくすぶってるかよと悪態を口を開かずにもごもごと言った。 が、自分の立場をちゃんと理解してちゃんと幼児らしく振舞っていたので保育士から目をつけられずにすんだ。 通園ノートには当たり障りの無いコメントが並んだ。
小学校に入学してからは10日とたたないうちに登校拒否を始めた。 前々から計画していたことだった。 ソナタは周りの子よりおとなしいのだと家族も理解していたし、お勉強もよく出来た。 ただ周りの子との同調が難しいのだと、アリアの前例があった為か、家族会議において登校拒否はあっさり認められた。 お勉強は小学校4年生くらいの子と同じくらい出来たし(ローマ字を書いたり金子みすゞの詩をそらんじたり)(実際は高校3年生レベルの知識を誇っていたがそれはひた隠しにしていた)、お行儀だってそれなりに良い。 ソナタは毎日ランドセルを背負って学校に行くかわりに毎日手提げを持って図書館に行った。 毎日のように本を読んで過ごした。 お気に入りはランボーと二葉亭四迷と三国志。 三国志はいつどんなときでも彼のバイブルだった。 日本のこの時代には漫画版があるのだと知って喜んでいた。 ときどきテストがあると知らされては学校に行った。 授業を受けていないのにほぼ9〜10割の点数を取るのでクラスの間では変な奴として有名だった。 教室の後ろに貼られた「係の表」を見ると一番大変な黒板消し係を押し付けられていたが、一度たりとその役目を果たしたことはなかった。 家が近所の中山くんが毎週のようにプリントを届ける役目を担っていたが、ソナタは別にプリントなんかいらないしなぁと興味を抱かず、ああ中島くんだっけ。中山だっ!と毎週のように怒られていた。 ときどき中川くんだっけとか山中くんだっけに変わるが、ソナタは中山くんの名前を一向に覚えられなかった。 無意識中の記憶媒体が「あーこいつの名前なんか覚える必要なし」とフィルタリングしているのだなとソナタは推察した。 世の中にはもっと覚えるべきことがいっぱいある。 中山くんは学年でも四天王レベルの実力を身につけていた(100メートル走が学年で2番目に早かった)ため、ソナタは学校内であることないこと吹き込まれたが彼はそれをくぁーるという欠伸で一蹴した。 通知表は6年18学期通して国語5、算数5、理科5、社会5、(生活科と称されていた最初の2年も5)体育1、音楽1、家庭科1、図工1だった。 アリアと似たような成績だったし、この6年の間にアリアは地元の小学校を登校拒否で通し中学校の3年間を保健室登校し公立高校の普通科に入学し近隣の住人に自慢できるレベルの私立大学の栄養学部に合格し第一種奨学金を受け取って通っていた(ただしあまり登校しなかったので出席単位はいつもギリギリだった)。 中学は内申を気にしてせこせこと通っていた。 友人はいないし授業中ぼーっとしてる所謂「図書室組」だったが、暴力や意地悪の対象にはならなかった。 かわりに無視をされ悪口を言われ嫌われていたが、彼は『他人を嫌いになるような性格の輩に好かれたって嬉しくない。 嫌われたほうが心が軽い』という思想のもとあくびをした。 テストの成績は常に学年10位以内を保っていたし、成績は3年間9学期通して国語5、数学5、理科5、歴史5、地理5、公民5、体育1、技術1、家庭科1、美術1、学活1だった。 3年生のときに私立進学校への推薦を薦められた(言葉が重複している。 失礼した)。 アリアのときにはなかった。 ソナタは「姉と一緒の学校に行きます」と言ってとりあわなかった。 推薦試験には面接があったため、それを嫌だと感じたらしい。 両親は少し落ち込んだようだが何も言わなかった。 アリアは何とも思ってないらしく何も言わなかった。 ソナタがその高校で1年生をやっていた夏、姉アリアが結婚した。 相手は同じ製菓会社に勤める職員で名を阪上狩真というソナタより9つ年上の煙草も酒もギャンブルもやらない背と鼻と声の高い青年だった。 結婚式はあげずただ役所に届出を出した。 ソナタは狩真のことを少しだけ睨んだが狩真は気づかないふりをした。 そろそろ成績が上の上の上から上の上の中に下がり始めてきたがこれは毎回の人生十代後半になるといつもどおりのことなのでソナタは気にしなかった。 美青年ではなかったが痩せ型で頭が良くて醸し出す雰囲気がミステリアスだというので女子生徒からはそこそこ人気があった。 そのうち一番化粧の薄い小森美恵という少女を彼女にしたが 魚手くんってばちゃんとあたしのこと好きじゃないんだもの!と意味のわからない台詞を吐かれてソナタは辟易し3日で別れた。 高校2年生になると生徒会の書記を勤めさせられた。 週末になると街の交差点でまるで胡桃を割る人形のように能動的に英会話教室のティッシュを配るアルバイトをした。 アリアが男児を産んで、ソナタは「位置軸」という名を提供した。 それは親戚一同が挙げた名前の中でもわりとマシな部類だったので採用された。 狩真がソナタの機嫌をとったというのが理由の大半を占めていたが、小夜が挙げた「カノン」よりは数倍数十倍数百倍良いと思われた。 高校3年生になる直前の春休みにいきなり眩暈に襲われて倒れた。 病院に運ばれ胃癌だと告げられた。  父は混乱し母は号泣し姉は呆然とし義兄は瞠目し甥はすやすや眠っていた。 入院させられ精密検査を受け手術をすれば助かる可能性は高い、頑張ってくれるねと医師に肩を叩かれた。 ソナタ本人はへぇ今回は癌かよとしか思っていなかった。 ガーン、と呟いてみたが全く面白くなかった。 これまで何回と人生を送ってきたがみな18歳になってすぐ死亡した。 これはなにかの罪なのかもしれないがそれにしては甘い(彼は煙草も酒も知っていたし、車は何回か運転したことがあるがトスカー国の戦車を思い起こさせるらしくすぐ眉間にしわを寄せていた)。 父は仕事を持ち帰りソナタの病室でこなし、母はお見舞いバスケットの林檎を可愛らしくウサギ型に切り、姉はせっせと千羽鶴を折り、義兄は三国志の漫画をベッドサイドのテーブルに積み上げ、甥はソナタの顔をじっと凝視した。 ソナタは父に眩しくて眠れないと文句をつけ母の林檎ウサギをフォークで刺殺し姉に意味ないよと冷たく言い放ち義兄にお見舞いバスケットのオレンジを投げつけ甥の顔に油性ペンでぐるぐるほっぺを描いた。 担任の教師と校長と小森美恵とそれから中山くんがそれぞれ一度ずつ見舞いに来たがソナタはやんわり追い返した。 父と義兄が工面した金で5月半ばに手術は行われた。 麻酔を嗅がされる直前まで金がもったいないだのどうせ治らないだの位置軸の養育費に回せだのぎゃんぎゃん五月蝿く喚きたてた。 長い長い手術の後、麻酔からさめてソナタは・・・え?とキョロキョロした。 起き上がるなという看護師に逆らい上半身を起こし、・・・え、生きてる?!やった、と思わず諸手を挙げて喜んだ途端、金属でできた医療器具が腹を突き破って歯磨き粉みたいなストライプのパジャマを赤く染めた。 父と母と姉と義兄と看護師と同室の患者たちが叫んでパニックに陥った。 2022年5月15日17時33分47秒29、魚手ソナタは医療ミスによる出血多量が原因で息を引き取った。




































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